
私は現役のシンクタンクの主任研究員です。
シンクタンクでの最前線のマーケティングや戦略に関する情報や実務経験を元に
「優しくて性格の良い人が苦しまない社会の仕組みづくり」を実現するための手段として、誰にでも取り組めるビジネス、副業をお伝えしています。
こんばんは、蒼井です。
今日はどうしてもお伝えしたいことがあります。
私の今がある理由、このブログを立ち上げたいきさつについて、お伝えしたいと思います。
お気を悪くされる方があるかもしれません。
もし途中でご無理なようであれば、最後まで読んでいただくことはありません。
しかしこれは私の身に起こった事実です。
現実の仕事の世界は優しくて性格の良い人ほど苦しむ社会になっています。
“生きていく糧を得る手段でしかすぎない仕事”に、非常に大きな苦しみを抱えている多くの仲間を知っています。
事実私自身もそのひとりでした。
私は身近で大切な仲間を3人も現実の世界から永久に失っています。
中学から高校まで6年間一緒だった同級生、
同じ会社に同期で入社した同輩、
そして従妹の夫。
3人とも私と年齢はほぼ同じです。
“生きていく糧を得る手段にしかすぎない仕事”での人間関係への苦しみが引き金での自殺でした。
自分の身近で年齢もほぼ同じ仲間が3人も、自ら命を断ってしまうというのはあまりにも異常な社会です(それはたまたま私の周りで起こっただけなのかもしれません)。
みんな優しくていい奴だった。それゆえ組織の中では苦しんでいました。
何気ない笑顔の下にはいつも出口のない不安と終わりない苦しみを抱えていたのです。
本人の適応力や資質、努力の不足と評されるかもしれません。
しかし彼らはみんな毎日自分なりに全力で戦っていた・・・・・。
中学校の下校のときに初めて話した彼は、とてもたくさん本を読んでいて、物知りでした。
大学を出て初めての会社で激しい上司の真下で出社拒否になりました。
(このときの話はひどかった。パワーハラスメントというよりいじめでした。同じ上司に苦しめられた仲間も多かったと聞きました。しかし会社はその上司を罰しません。)
アパートに引きこもり退社。その後職を転々としていました。
マルチレベルマーケティングの誘いがあった時、私はとてもひどい断り方をしました(マルチレベルマーケティングは彼にも私にも向いていません)。
同じ会社の同輩はよく朝のバスで一緒になりました。
新しい部署が合わないと良く漏らしていました。
確かに営業には向いたいなかった。(組織はよくこのような不適材不適所を平気で行ないます。嫌ならやめるしかない。)
会社を去ってから家庭環境などが変わったらしく、しばらくして訃報を聞きました。
従妹の夫とは、結婚式の時と、田舎の実家で法事やお盆に数回あったことがあるだけです。
会社が嫌で、やめて独立して事業を始めたと聞いていたのにショックでした。
学生時代、大阪で新聞奨学生をしていた私は日曜日の晩ご飯を、よく従妹の家で食べさせてもらいました。
従妹も決して豊かでなかったので、糸こんにゃくをサラダ油で炒めたものがおかずだった日には、いって悪かったなと思いました。
現在は兵庫県で非正規雇用の介護の仕事で、娘をひとりで一生懸命育てています。
残された従妹とその娘、その様子を考えるだけで胸が痛みます。
みんなやさしくてとても性格が良かった。
ただ器用な立ち振る舞いができなかった。
朴訥で純で気が優しい。
だからいつも声が大きく、強いものに上から覆いかぶされる。
人財を潰す上司は存在します。だからある意味人災といえます。
しかし組織は、辞めて会社を去る側にこそ落ち度がある、という見方をします。どんな時も、必ず。
当時の私はなにもチカラになることができないことを悔やみました。
そしてそんな仲間が身近に3人も、自分の同じ年齢でいることに、この社会の異常さを考えました。
世の中には彼らと同じように
“生活の糧を得る手段でしかすぎない仕事”で人間関係に苦しみ、明けることのない夜に、圧し潰されそうな胸を抱えて眠れない夜を過ごしている人がたくさんいます。
事実私もそうでした。
転勤直後、とにかく口をきいてくれない上司の対応がきつく、
私は営業の途中アパートに帰り、妻の前で泣いたこともあります。
(よくクローゼットを開けて、頭だけ突っ込んで泣いていました。)
彼らは大切な自分の命と引き換えに、私に大きな“使命”に気づかせてくれた。
私はそう解釈することでかろうじて、私にも伝播しかけた負の連鎖、自我の崩壊を防ぐことができました。
“組織や社会にそんなやさしい人財を救う仕組みがないのであれば私が用意する。”
それから仕事が終わってから毎晩様々な方法を調べ尽くしました。
お酒を断ちました。夜お酒を飲むと、寝てしまうからです。
慣れるまでの3週間、激しく自分を律しました。
私の本業の仕事も幸いでした。
シンクタンクの研究員というは、常に実務の最前線で、限りなく“解”に近い、次の打ち手を社会や企業に提案することを生業としています。
環境変化や社会の構造変化をいろいろな確度から見ながら、最適な次の打ち手を提案するというのは得意技です。
私の普段の仕事の手法と経験を、組織に縛られない仕事、不安を減らすための副業の発見と開発に応用しました。
私たちの実務ではいつも「クリティカルにモノを見よ」と言います。
クリティカルシンキングと言います。
コンサルタントの基本スキルで、
「簡単には認めない、受け入れない、厳しく、批判的に物事を見る姿勢」です。
私はこのクリティカルな曇りなき眼でビジネスの可能性を判断します。
優しくて人のいい人財が、これ以上苦しまない仕組みを提供していくために。
どんなことがあってもこの気持ちは絶対に譲りません。
なぜなら、個人が人間関係に苦しまない仕事、あるいは副業が担保できるということは、
命を救うこともできるからです。
必ずみなさんのお役にたちます。
最後まで読んでいただいたみなさま、
本当にありがとうございます。